05


「――いいだろう」

食堂を包んだ静寂を深みのある低い声が切り裂く。
旗屋と名を呼び、生徒会長のサインを入れた紙を旗屋へ手渡す。
それが意味することを今になって嫌というほど理解した生徒会役員の誰かが苦し紛れに叫んだ。

「っ、だったら、会長も処分すべきだろ!会長はっ、仕事もしないで毎日生徒会室にセフレを連れ込んで遊んでた!」

「そ、そうですよ!そのせいで私達は仕事も出来ず生徒会室を追い出され…」

「残念ながらそれはありえません」

役員達の叫びにそうだよなどとざわつき始めた、悪意ある噂を信じきった一般生徒のざわめきを旗屋が冷ややかな眼差しを向けて切り捨てる。
犬猿の仲と言われる生徒会長を庇った風紀委員長に生徒達の間に動揺が走った。

「この中で誰か…一度でも龍ヶ峰と寝た者は?」

いるはずがない。
俺は自分の認めた者にしか肌に触れることは許さない。もちろん、親衛隊など論外だ。

「では、一度でも副会長達が仕事をしている姿を見た者は?」

「だからっ!会長のせいで仕事なんて…」

「生徒会室から書類を持ち出すことぐらい馬鹿でも出来るでしょう」

「――っ」

そういえば見たこと無い、だの、いつも空川にべったりしてて…とざわざわと生徒達が騒ぎ始める。
そこへ威圧するように荒々しく鋭い声が飛鷹から発された。

「ハッ…テメェらは揃いも揃ってクズばっかだなァ」

空川の背中に乗せていた足を下ろし、今さら現実に気付いた連中を嘲笑するように飛鷹は口角を吊り上げる。

「こんな奴らアンタが守る価値もねぇ。…そう思わねぇか、なァ龍ヶ峰?」

挑発するように投げられた視線に、その意図を読む。
こちらに集まった生徒達の視線に厳しい表情を浮かべ、俺はただ一言口を開く。

「…そうだな」

そして静かに一度、集まった期待を容赦なく切り捨てれば面白い程に生徒達の顔色が変わった。
飛鷹はその様を眺め愉快そうに笑う。

「くくっ…最高だぜテメェらのその裏切られたようなカオ。先に裏切ったのはどっちだか棚上げして、恥ずかしげもなくよくまァそんな顔が出来たもんだ。あー…可笑しすぎてグチャグチャに潰したくなってきたなァ」

クツリと赤い双眸に狂気が宿る。
抑えることもせず周囲へ漏らされる怒気と殺気が誰の為のものか。明確に伝わってくる意思に考えずとも知れた。

思わず唇端が緩む。
旗屋といい、飛鷹といい…実に面白い。面白く、興味を引かれる。
力ある人間がこんな形で表に出てくるとは。自分達の影響力を計算した上での発言にそれに見合った力の使い方…実に好ましい。

「止めなさい飛鷹」

その後たっぷりと恐怖を与えた後に事務的な口調で旗屋が止めに入る。
これで生徒達は皆、少なからず旗屋へ恩を感じるだろう。

「龍ヶ峰からサインを貰った以上、空川を筆頭に役員達への処罰は決定したも同じです。貴方も大人しく退きなさい」

「チッ…」

その上で決定権は俺にあると示唆する旗屋。

飛鷹は旗屋を睨み付けたあと、不機嫌さを撒き散らしながらも大人しく食堂の出入口へ向かう。

「おい、行くぞ下僕共!」

その際、被害者として名を上げた生徒達を下僕共と呼び、それに対して被害者達はぱぁっと表情を明るくさせて飛鷹に駆け寄っていった。
一見すれば異様な光景にみえるが、理解すればそうではない。

被害者が思ったより少なく済んだのは飛鷹のお陰だったか。

無言で旗屋と視線を交わす。

微かに顎を引いた旗屋にもう食堂に用はないと俺も踵を返す。その背中へいさぎ悪い声が届く。

「風紀とグルになって私達を嵌めたのか、龍ヶ峰!」

少しは冷静なったのかこれまでのやりとりを思い返し、副会長が言う。
どこまでも俺を不愉快にさせる人間だ。

ふと全ての感情を捨て、役員共を振り返る。
その視線の冷たさに役員共は喉を引き吊らせたような声を漏らした。

「共謀したか否かで問われれば――否。何を勘違いしているのか知らないが自分の行動に責任もとれない奴に他人を責める資格はない」

「――っ」

「無論、そんな無責任な人間が生徒会役員の席に着くなど…あってはならない。この意味、分かるな」

もう何も言わずがっくりと項垂れた役員共から視線を外す。後は風紀である旗屋に任せ食堂内を歩き出す。

飛鷹に向けられたものとは少し意味合いの異なる畏怖した視線に道を開けられ、俺は食堂を後にした。

そして、食堂に残された旗屋は食堂内に密かに紛れ込ませていた風紀委員へ指示を飛ばす。

「生徒の模範となるべき役員でありながら風紀を乱した罪は重い。風紀から追って処分が下るまで彼らを懲罰部屋に連行しなさい」

「……っ、何で。納得がいかない。何で風紀が会長に手を貸すんだ」

生徒会と風紀は口も利かぬほど仲が悪い。

連行されながら項垂れた会計が呟く。
耳ざとくその台詞を拾った旗屋は喉の奥で一人笑った。

連行される空川にその取り巻き達。
昼休憩の終わりと予鈴を告げる鐘が鳴り、一般生徒達は慌てて食堂を出ていく。

これで空川が転校してくる前の日常に少しは近付くだろう。
迅速に新役員を補充すれば龍ヶ峰への負担も減る。

旗屋は龍ヶ峰の座っていた席を見下ろし、ふっと薄く笑みを刻んだ。

「好意を寄せる相手に手を出されれば排除したいと思うのは人間として当然の感情でしょう。…貴方もそう思いませんか――飛鷹?」

視線を滑らせた先に、いつ戻ってきたのか閑散とした食堂の入口にその男は立っていた。
ぎらぎらと獰猛に光る赤い眼差しに弧を描いた唇。
旗屋と視線を絡めた飛鷹は熱い眼差しを隠さず言った。

「ハッ、当然だろ。アイツの目を曇らせる奴は誰であろうと俺が排除する。俺はアイツの揺らがない強い眼差しが気に入ってンだ」

即答で返された飛鷹の返事に旗屋は満足気に瞼を伏せ、意識を切り換える。

「だが、飛鷹。俺が庇えなくなるようなことまではしないで下さい。それが例え龍ヶ峰の為であろうと」

「分かってる。奴らじゃねぇンだ。自分の力量は弁えてる。アイツ、馬鹿は嫌いそうだからなァ」

「ならもう言うことはありません。行きなさい。……俺もお前も誰かに見られて下手に勘繰られたくはないでしょう?」

「あぁ…じゃ…」

食堂の入口から離れようとした飛鷹は尻ポケットに入れていた携帯が喧しい音楽を奏で始めて動きを止める。
同時に、旗屋も制服の内ポケットにしまっていた携帯が振動したことに飛鷹を呼び止めた。

「待て、飛鷹」

さっさと携帯を取り出して画面に視線を落とした飛鷹の瞳に驚喜の色が混じる。

「くくっ…」

弧を描いた飛鷹の唇からクツクツと熱を宿した低い笑い声が零され、自身の携帯画面を確認した旗屋の目にも喜色の色が浮かぶ。

携帯の画面から視線を上げた飛鷹と旗屋は離れた視線を再び絡め、同時に口を開いた。

「――放課後、生徒会室」

重なった言葉は同じ音を紡ぎ、視線を合わせたまま二人は緩やかに笑った。

「この際どうやって俺のアドレスを手に入れたかは問題ではありません」

「俺も教えた覚えはねぇぜ。まともに会話を交わすのだって稀だ。…俺は行くぜ。願ってもねぇ呼び出しだ」

「それは俺も同じ気持ちです」

もはや懲罰部屋に向かわせた奴等などどうでも良いぐらいに内心旗屋は浮かれていた。

手にしていた携帯電話をしまうと足早に飛鷹の横を通り過ぎる。

「では、俺はこれで。放課後までに奴らに処分を下さねばなりませんから」

「ンじゃ俺も、放課後まで下僕共と遊んでやるかなァ。クズに成り下がった奴らも叩き直さねぇとけねぇしよ」

食堂を出て、旗屋と飛鷹は何事もなかったかのように背を向け歩き出す。
その心は共に放課後を待ち遠しく思っていた。







理事の公私混同した職権濫用の証拠を理事会に送りつけ、これまた無能に成り下がった役員達を生徒会長・風紀委員長を筆頭に役持ちのトップ全員がサインした署名を使ってリコールする。
他にも親衛隊を使っての制裁等々、重ねて厳しい処分を下す。

その原因たる空川は出席日数、学力不足でクラス落ちにさせた上、風紀を乱した罰で一人一ヶ月の監視部屋生活を送らせる。

委員長にしては手緩い処分だと風紀委員達は訝しそうに空川へ下された処分を聞いていたが、三日と立たずそれは間違いだったと気付く。

なにより学園に来て以降空川はひっきりなしに誰かしらにちやほやされていた。それが、監視部屋ではただ一人。誰も話しかけなければ、誰も話を聞いてはくれない。
無制限に愛情を注がれ続け育ってきた空川には精神的にキツい罰であった。

旗屋は空川には空川に見合った罰を的確に下していたのだ。涼しい顔をして的確に急所を穿った委員長に委員達は絶対に旗屋には逆らうまいと身体を震わせる。

そして、恐怖で生徒達を支配した旗屋とは逆に飛鷹の人気は食堂での一件以来上がっていた。

飛鷹の言う下僕、それは空川に振り回された挙げ句役員や親衛隊達から理不尽な暴力を受けていた者達のことだと後に判明したからだ。

飛鷹の庇護下に置かれた生徒達は今では普通の学園生活を送っている。誰もが飛鷹の強さを恐れて下僕に手を出そうとはしない。下僕という名に守られているのだ。

そんな二人が、意見を求め、忠誠心を垣間見せた人間。――生徒会長の龍ヶ峰は今では触れてはならぬ偶像と化していた。

「これは思わぬ誤算ですね」

「クッ…ぜってぇそんなこと思ってねぇだろアンタ」

放課後、人払いのされた風紀室で旗屋と飛鷹は顔を合わせていた。
白々しい言葉を吐いた旗屋に飛鷹は唇端を歪めて笑う。

「思わぬ誤算じゃなくて、嬉しい誤算だろ?俺達にとって」

訂正された台詞に否定の言葉も返さず旗屋はふっと涼やかな笑みを浮かべた。

「龍ヶ峰は誰彼構わず触れていい存在ではない」

それは本人も意識してか、無意識にか選んでいる節がある。

「ん〜、かといってプライドがべらぼうに高いわけでもねぇンだよなアイツ。なんせ…俺達は触れることを許された」

「それは俺達の何かが龍ヶ峰のお眼鏡に叶ったからでしょう」

呼び出された数日前の放課後を思い返す。

旗屋と飛鷹は人目を避けて生徒会室へと足を運んでいた。



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